ジャグラーでボーナス終了後の1G目にBIGを引くと、ボーナスサウンドが「軍艦マーチ」に変化します。
しかしなぜ軍艦マーチなのでしょうか?
その由来を少し書いてみたいと思います。
20世紀のパチンコ屋
僕が初めてパチンコ屋に入ったのは20世紀の世紀末のことでしたが、この当時はパチンコ屋は今とはだいぶ違い、店員さんは金髪、パンチパーマの店員も結構いました。
店によっては喫煙をしながら勤務をする店員もいたほどです。
そして店内ではほぼ百発百中で、軍艦マーチかF1のテーマ曲 (T-SQUAREというアーティストのTRUTHという曲だそうです)のいずれかがかかっていて、そして「ジャンジャンバリバリお出しくださいませぇ!」とにわかラッパーよりもはるかにレベルの高いマイクパフォーマンスが行われていました。
今となってはこれらの曲をかけているホールはどこにもないのですが、当時はどこもこんな感じでした。
僕は今でも、これらの曲を聴くとパチンコを思い浮かべてしまいます・・・
なぜ軍艦マーチだったのか
なぜ軍艦マーチがパチンコ屋のテーマ曲となるほどにかけられていたのかということですが、これには諸説あるそうですが、一番有力なのは、第二次世界大戦後の昭和26年、東京有楽町のパチンコ店「メトロ」で店主をしていた元海軍兵が気晴らしに店内で軍艦マーチをかけたのが始まりだったという説です。
当時はGHQの統治下にあり、軍国主義的なものに対する統制がかなり厳しかったものの、店内にアメリカ兵がいたにも関わらず軍艦マーチに対してはお咎めがなかったため、他のパチンコ店もこぞって軍艦マーチをかけ、のちにパチンコ屋のテーマ曲となっていったそうです。
GHQが待ったをかけなかった理由として、大衆娯楽場で帝国主義の象徴である海軍の軍歌を流すことで、結果的に日本を貶めることになると考えたからという説もあります。
軍艦マーチを聞くとパチンコ屋を想起する人も多く、僕自身も10代の頃、軍艦マーチ=パチンコの歌くらいにしか思っていませんでした。
さらに若い世代でジャグラーを通じてこの曲を知ったという方は、「ジャンバリ」という名前でこの歌を認識している人も多く、これが旧帝国海軍の軍歌であり、今でも世界三大行進曲の一つに数えられていると知らない人も多いことを考えると、GHQの狙いは一定の効果があったといえるでしょう。
ジャグラーが軍艦マーチを搭載
しかし時代の変化とともに、軍艦マーチを流す店舗は減っていきました。
これに関しては政治的な問題というよりは、普通に時代に合わなくなったからと思われます。
そして、軍艦マーチがホールでかからなくなったことに北電子の開発者が寂しさを覚えたのかはわかりませんが、5号機のジャグラーでは1G連でBIGを引くと、ジャンジャンバリバリという当時のマイクパフォーマンスとともに軍艦マーチがBGMとして流れるようになりました。
ジャグラーの解説にも「古き良き昭和のホールを彷彿とさせる軍艦マーチ」と説明があります。

http://www.kitac.com/slot/imjuggler-ex/index.html より引用
軍艦マーチが時代とともにかからなくなるなか、北電子の開発者は寂しさを覚えたのでしょうね。年配客を取り込むこういうところはさすがですね。
軍艦マーチが聴きやすい機種
以上、軍艦マーチにまつわる経緯みたいなものを紹介しましたが、ジャグラーで軍艦マーチを一番聴きやすい機種って知っていますか?
ジャグラー史上、軍艦マーチが一番流れやすい機種はマイジャグラーシリーズなのです。
なぜかというと、他の機種は1G連BIGの時にしか軍艦マーチが流れないのですが、マイジャグラーシリーズだけはボーナス後3GまでにBIGが成立したら軍艦マーチがかかります。
そのため、他の機種の3倍は軍艦マーチが聴きやすく、台数の多いホールでしばらく打っているとそこそこの割合で聞くことができます。
ちなみに個人の「軍艦マーチ連」は2回が最高で、2度経験したことがあります。
BIGの後に、1G連BIG、さらに2GでBIGみたいな感じで、わずか4Gの間にBIGを3発引くという偉業を成し遂げました・・・しかし日本最高記録はどのくらいなんでしょうね。少し気になります (^_^)