今回も遠隔に関する話題をしたいと思います。
前回の記事はこちら ↓
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遠隔操作・ホルコン割制御はあるのか
ネットを見ていると、遠隔操作とか割制御の話題を結構見かけます。実際のところはどうなのでしょう? 僕は否定派ですが、パチンコ店で働いているわけではないので本当の内情は知りません。 しかし一般に公開されて ...
今回は趣向を変えて僕の遠隔体験をお話ししたいと思います。
本当にあったエンカク体験
見出しところに自分で書いておいてなんですが、遠隔ってカタカナで書くと、エンコーみたいな感じちょっとドキドキな響きですね。
これからは「遠隔」ではなく「エンカク!」とか「えん☆かく」とポップなノリで攻めたいと思います。
・・・くだらない話はさておき。
さてこれから消化するのは、僕のパチンカス人生の中で最も特異な2日間で、遠隔が存在すると確信した経験す。
遠い昔の話ですが、今でも鮮明に覚えています・・・
パチンコにのめり込んだ学生時代
それは15年以上も前の夏。7月のある日のことです。
長引く梅雨。駄目押しのように台風が接近し、土砂降りの雨が降り続けます。
しかしこの台風が去れば夏はもうそこです。サザン、海、青春・・・
しかし僕は、サザンとも青春とも無縁で、コンビニの深夜バイトをしていました。
昼は学校に行き、深夜はコンビニバイトと、二宮金次郎も真っ青の苦学生ぶりです。
しかし全て自分でまいた種でした。
大学の同級生に初めて連れて行かれたパチンコで、初代CRモンスターハウスと初代ニューパルサーで大勝し、その後は完全に負け組パチンカーの道を進みました。負け組への黄金パターンですね。
当時、僕の家庭は、バブル崩壊のあおりを受けて破産寸前の状態でした。
本来ならば大学など行っている場合ではなかったのですが、幸運にも奨学金を借りることができた僕は、学費の心配をすることもなく、通学定期券代と書籍代、あとは食費くらいをアルバイトで稼いでおけば無事に大学に行けたはずなのでした。
しかし日本育英会とは愚かな機関でした。
奨学金を毎月数万円に分割して、毎月律儀にギャンブル依存症患者の銀行口座に振り込んでくるのですから。
そんなことをされたら、奨学金が振り込まれる日にはカレンダーで丸をつけ、その日は朝からパチンコに行くに決まってるじゃないですか。
学費として学校に払うべきお金に手をつけてしまい、いざ学費を支払う時期には一銭も残っていません。
学費支払いの4月の10月が来るとあちこちに頭を下げて借金をして、それでなんとか学費を払っていました。
完全に自業自得です。
結果、借金を返済するために深夜バイトと昼のバイトを2つほど掛け持ちしていたのです。
コンビニの深夜バイトは結構気に入っていました。
今とは違い、接客態度とかでうるさく言う人はいませんでしたし、深夜は客も少ないので好きなことをしていました。
弁当は食べ放題で、レジの下に落ちている小銭を拾えばジュースもタダで飲めます。
谷村ひとし先生の連載を始め、パチンコ系の雑誌を誰よりも早く読めました。
(当時はインターネットがなかったので雑誌が主な情報源でした)
朝便のお弁当とおにぎりを陳列し終わって時計に目をやるともう朝7時過ぎです。
夜勤は朝8時まで。
終わったら学校に行く予定です。
しかし、うんざりするような土砂降り、極度の眠気、あと少しで解放されるという気分の高まりから急にパチンコが打ちたくなりました。
夜勤明けに全ツッパを決意
僕は決意しました。
「今日、CR大工の源さんに自分のすべてを問う」と。
「自分の全て」とは、財布に入っている3万円と銀行にある3万円の計6万円です・・・
ちなみにCR大工の源さんとは、今でいうところのマックス機のようなもので、パチンコにしては珍しく3段階の設定がありました。確か、通常は1/360、1/400、1/430と設定差があります。
確変突入が3分の1と鬼畜ながら、確変は2回継続なので、単発を2連続で引かない限り継続します。1回の大当たりで2400玉ほど取れ、連チャン性が高く、当時はフルスペック機と呼ばれていました。
しかし朝8時にコンビニから外に放り出されても、パチンコ屋はまだ空いていません。
外は土砂降りなので外で待つのも疲れます。
そこで、バイト先から1時間ほど離れた、友人の家の近くのパチンコ屋で打つことを決めました。
バスと電車を乗り継いで行くので、その中で寝ることもできると思いました。
わざとゆっくりと行ったつもりですが、店に着いた時には開店までまだ1時間ほどありました。
その日チョイスしたホールは、別に評判がいいわけでもありません。
ただ、以前打ったことがあり、なんとなく場末感というか、時代遅れな感じの雰囲気が好きだったのです。
雨のせいもあり、一人も並んでいませんでした。
自分は店のシャッターの前に一人しゃがみこみ、雨が降る中ひたすら待ちました。
結局、開店時間の10時になるまで僕以外誰も並ばず、1人だけで入店します。
一人さびしく1時間並んだ結果
軍艦マーチが流れる中、大工の源さんのシマへ向かいます。
他に誰もおらず、台は選び放題です。
釘を見ても何もわからないのですが、とりあえず3−4台見たふりをして、適当な台を選んで打ち始めます。
9,000円ほど打ち込むと、確変図柄のリーチからコンベア高速に発展します。
コンベア高速といえば、通常絵柄なら100%、確変絵柄でも75%ほどで当たる、大工の源さんで一番アツいリーチです
映像で分かるように、コンベアリーチは低速から始まります。
低速の時点では期待度はゼロに等しいのですが、高速に発展すると途端に激アツリーチになります。
コンベアが高速になった瞬間、僕は台の右枠にある鍵穴に親指を突っ込み(年配者から教わったおまじないですw )、下を向き目をぎゅっと閉じました。
1秒後、「バコォッ」と箱が割れ、電子的な音で「ヤッタァ」と聞こえてきました。夢の確変突入です。
この確変が15連くらいしました。これで今日の勝ちは確定か。
しかし確変終了後、僕は何を思ったか「つまらなくなった」という理由で他の台に移動します。
移動先はモンスターハウス。本当にただ打ちたくなっただけです。
今度はわずか千円で確変。
その後、飯島愛(という名前のパチンコ台です)、CRワールドなど、訳のわからない機種も含め6ー7機種乱れ打ちしました。
驚くべきことに打つ台打つ台が千円か二千円で確変にあたり、その日は20万近く勝ちました。
交換率は2.7円だったので、累計で8万発近く出していた計算になります。
これは「確率の範囲内の現象」なのでしょうか?
僕は遠隔で助けてもらっていると確信しながら打っていました・・・
その日の状況を、ホール側の人間から見るとどうだったのか、以下、僕の脳内妄想をどうぞ。
※ 当時は、パチンコ店員=パンチパーマみたいな時代だったのでそのイメージでご想像してくださいw
ホールから見たエンカク体験
午前9時・・・早番担当の主任。
土砂降りの中、片手に傘をさして店に向かう。反対の手にはキャビンマイルド。セブンスターからこいつに変えてしばらくになる。
店の前に着くと、シャッターの前に一人うなだれているのが見えた。
「なんだ、ホームレスか酔っ払いか?」
眉間にしわを寄せ近づいてみるとまだガキだった。
不気味なことに、この土砂降りの雨のなか、傘をさし立てひざの姿勢のまま寝息を立てて寝ていた。
「なんだこいつ?もしかして並んでるつもりなのか?」
そういえば、新台入れ替え以外で並び客を見るのは久しぶりだった。
ここのホールだってちょっと前までは常連客で賑わい、やる気では他店に負けていないつもりだ。
駅の反対側に参入してきた大手チェーンに客を奪われ、客足も遠のき売り上げは落ちていた。
「あの系列、イキがってるぜ。ろくに釘も開けてねえくせに、ホールスタッフだけ綺麗どころを揃えて直角のお辞儀させてるだけじゃねえか。客も客だぜ、あんな見掛け倒しのホールになびきやがってよ。なーにがホテルみたいなサービスだ、けっ!」
主任には店長の代理としての自覚もあり、売り上げの変化にも敏感で近隣店の状況も把握していた。
「俺たちだってな、負けちゃいないぜ。いつか隣の駅にも店を開いてやるんだ。そうなったらこの店はお前に任せるからな」と店長から言われていた。
しかしこの土砂降りだ。開店までこのガキ一人を除いて誰も来なかった。
10時30分。
タバコのヤニの臭いが染み込んだパチンコ屋の事務所。
雨の湿気のせいでヤニ臭さが増幅される。
開店後30分ほどして出勤してきた店長。
事務所に入るなり缶コーヒーを開けタバコに火をつける。
「今日はどうせガラガラだろ・・・」といいつつ、店内カメラのモニターに目をやる。
案の定、客付きは最悪。
源さんのシマにモニターを切り替えると、真っ赤な目を血走らせ脇目もふらず源さんを打つ若者が一人。
「なんだこいつは」店長は主任に聞いた。
「ああ、このガキ、俺が出勤してシャッター開ける前から並んでたんすよ。朝9時から土砂降りの中。頭イカれてるんすよ」と答える。
「なんかやってんじゃねえのか?」
「いえ、ただ打ってるだけですね」主任は答えた。
店長はもう一度モニターに目をやった。若造は相も変わらず、一心不乱に源さんの液晶を凝視していた。
店長はタバコの煙を吐き出し、3秒ほど考える。
「よし、このガキ気に入った。今日はこいつに徹底的に華(ハナ)持たしてやれ」主任に指示した。
主任は黙って首を縦に振り、パソコンのあるデスクに向かい、「連5警告発砲」を3回押した。
主任。上京してきて早12年。
パチンコばかり打って借金に追われていた頃、店長に救ってもらったのだ。
「パチンコなんざ人にやらせるもんだ。自分でやるもんじゃねえぞ」
店長はこんなオレをこのホールで働かせてくれ、目をかけてもらった。
オレは店長に救われたんだ。店長がいたからこそオレはここまでこれた。そんなオレも今じゃ家庭持ち、父親だ。
4歳の長男と2歳の娘になる可愛くてたまらない。子供たちのためならどんな辛い事にも耐えられる自信がある。
もし店長がいなかったら、俺は今でもこのガキみたいにパチンコを打っていたのかもしれない。
そう考えると店長には感謝してもしきれない。絶対的忠誠。誠(MAKOTO)であり義でもある。カタギには分からぬ世界だ・・・ふっ。
主任はホールに出て、箱の上げ下げ、ぶどう(玉詰まり)を後ろから台パンして解消したり、掛け持ち遊技をする客にはおしぼりを投げつけて注意するなど通常業務をこなしながらも、ガキの動向を常にチェックした。
あいつが通常遊技に転落したら、即事務所に戻り、「連5警告発砲」ボタンを押す。それが店長の指示。
店長は情に厚い人だ。あのガキもこの台風の日にピンポイントでウチに打ちに来た。貧乏なガキのくせに源さんを打つ度胸もいい。
店長はおそらくあのガキに惚れ込んだのだろう。
警告発砲をすれば次の回転で必ず確変が当たる。ガキはスーパーリーチに発展すると鍵穴に親指を突っ込む。
ガキのくせにジジババのオカルトをきちんと実践してやがる。
しかも、鍵穴から指を離したあと、自分の親指についた鍵穴の痕をみる仕草までジジババそっくりだ。
しかしこのガキ、思ったよりも腰が軽い。当たっても未練もなくすぐに移動する。
持ち玉を活かさないで現金投資ばかり。これじゃ間違いなく養分だ。
それでも今日こいつが爆勝することは確定している。なぜならあいつが座る台はどんな台だろうとも確変5連することが確定しているから。
主任は台番号を確認し事務所へ戻り「連5警告発砲」を押す。
そうこうしているうちに夕方になった。
主任が上がる時間だ。交代する遅番の後輩社員に店長の指示に伝える。
「このガキいるだろ、こいつ」主任がモニターを指差す。
「はあ」やる気のない声の社員。
「今日は閉店までこいつに警告発砲し続けろ」
「は?」思わず声がうわずる社員。
「いいから。店長の指示だ」
「了解っす」 社員は察した。このガキは店長の甥っ子かなんかなのだろうと。だが余計なことは口走らないのが掟。
社員は、先月まではアルバイトだった。主任の推薦で社員にしてもらったのだ。
社員の自覚を持って金髪も黒く染めた。
主任にはバイクのローンの保証人にもなってもらっている。
主任についていくことはもう決まっているんだ。
主任は店長の漢気に惚れ込んでいる。
漢が惚れる漢、つまりウホ・・・
主任の指示は店長の指示。
ならばそれに従うまで。
若さゆえの機敏さを生かし、ホール業務をこなしながらもちょろちょろと移動を繰り返すガキを追尾し、警告発砲を押した。
最後に発砲したのは午後10時30分。CRハッピーデートだった。
しかしこのガキ、何が確変絵柄で何が通常絵柄かもわかっていないっぽい・・・
確変のまま閉店終了。
明日も打ちたいというのでラムクリはせずに帰宅した・・・・・
※ 当時は、確変状態のまま閉店になると、次の日朝イチで来ることを条件に確変状態の台を続けて打つことができた
(妄想終了)
終わりに
次の日も朝から打ちにいき、昨晩の残りの確変を消化しました。
その後、大工の源さんで再度確変を当て、二日間で30万円勝ちました。
その日は大学のゼミで発表があったのですが、迷うことなく仮病を使っていました・・・文句なしのパチンカスです。
しかもこの2日間で勝った30万円は、2週間もせずに他のホールと地方競馬にお布施してしまいました・・・
そしてまた借金を返すためにバイトに精を出します。いま思うと超がつくほどのジャンキーでした。
以上、「これはさすがに遠隔だろう」と僕が思った経験でした。
んなわけない?
僕は今でも、あの日僕は遠隔の被害者だったと信じています。
このホールはすでに閉店し、その後ゲーセンになり、それもなくなり、今はドラッグストアになっています。
時代の流れを感じますね。