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【超ポエム】スロ中年のノスタルジー

前回の記事で50台以上あるマイジャグを全6にしたというデータを紹介しました。

マイジャグの全6シマは最初の1000Gでどういう数値になるのか

安定感抜群で右肩上がりに出続けるイメージが強いマイジャグの設定6ですが、そのイメージが強いばかりに、ちょっと挙動が悪い時にうっかり捨ててしまうこともあります。 以前、某店が50台以上のマイジャグを全6 ...

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この店は首都圏在住の方はご存知の方も多いと思いますが、東京の新宿歌舞伎町のエスパス日拓ですね。

新宿はかつて「パチスロのメッカ」と呼ばれた地域で、今はどうなったか知りませんが「新宿グリンピース」とかその近くにあった「悟空」とかは有名でした。今ではスロット動画番組の大御所みたいな演者が、当時はまだ現役で雑誌ライターをしていて、グリンピースで攻略手順の検証していたりとかそういう時代です。

僕は当時学生で、大学からそう遠くはなかったので「一度は新宿で打ちたい!」と思ったものです。

で、実際に新宿に行ってみたのですが、まず駅がデカすぎて圧倒されました。西口と東口の移動をしようとしたのですが、キョロキョロするとカッコ悪いと思い、右も左も分からないクセに当てずっぽうで歩いていたら小田急だか京王線だかの迷路に迷い込んでしまったのがトラウマになりました。

それと、当時の自宅からは通いづらい地理にあったので通うのは難しかったんですが・・・

学生時代からオッサンの街が好きだった

そのせいか僕は、新宿よりも水道橋、神田、新橋といった場所が好きでした。水道橋は東京ドームや資格学校のイメージですが、神田や新橋はオジサンの街というイメージなので、僕は学生の頃からオッサンっぽかったのかもしれないですね。

新橋は今でこそビッグディッパー(通称出っ歯)という超有名店がありますが、当時はモダンな店といえば、ウノとかキングイーグルスといった勝てる気がしないお店くらいでした。その中でも僕はトップスという店が好きでした(今もあるはずですが打てる状況かは謎です)。

当時は綱取り物語というパチンコ台があって、それを朝から狙いに来る人たちが列を作っていました。当時はまだ一般的だったスポーツ新聞や競馬新聞と赤鉛筆、そして缶コーヒーとタバコを手に並び、そこをスーツを着た会社員が通り去る。

それがなんともいえず楽しい感覚でした。前にも「通勤組に白い目で見られて快感」みたいに書いたのですが、昔から僕はこういうのが好きなひねくれ者なのかもしれません。

綱取り物語はたしか天国、通常、地獄とモードがあって、朝イチは必ず通常モードスタートなので、普通に期待値があったんだと思います。

そんな中、僕は二階のスロットコーナーで打っていました。当時主流だったユニバの技術介入機は小役狙いとリプレイハズシができないと高設定でも全然勝てない台が多くて、年配客が掘り起こしたけど差枚をつけられなかった高設定っぽい台を翌日に据え置き狙いで打ったりしていました。

さらに新橋には場外馬券場(内幸町)があったので、日曜日は友人と新橋で集合し、昼を食べた後に馬券を買いに行き、パチンコ店内のテレビでレース観戦するというアホなことをやっていました。

競馬は僕よりも友人の方が大好きで、彼の夢はパチンコの確変と馬券を同時に取って、

「うん、馬は予定通り。と思ったらこっちも確変か、忙しいなこりゃ」

とのろけるのが夢だといつもいっていました。

メインレースの始まる午後3時40分に合わせて店内のテレビが見える台に座ってパチンコを打ちながらレースを観戦するというルーティンをしていました。

彼が確変と馬券を当時に仕留めたのをみたことはありませんが・・・

移ろいゆく時間

ちなみにですが、この友人とは大学を卒業してから疎遠になってしまいました。

だいぶ時間が経ってからFacebookでつながって嬉しくなって電話をかけたのですが、あからさまに困っているというか迷惑そうなトーンに聞こえたので「落ち着いたら連絡して」といったのですが、彼からの連絡はありませんでした。

どうやら彼は、パチンコの「パ」の字すら出すことも許されない女性と結婚して子供も生まれたばかりだったそうなので、僕みたいなのと再会してもロクなことにならないから、それがお互いにとって正解だったと思います。

僕自身も仕事を始めた当初はそこに食らいつくことに必死でパチンコのことは完全に忘れざるを得ず、さらに最初の結婚をしていた頃は禁煙までさせられてパチンコの「パ」の字はおろか、その後の三文字も口走れない雰囲気だったので彼の気持ちは痛いほどわかります。ちなみに僕の最初の結婚はワンセットで駆け抜けましたが。

彼はその後、東京都庁に入庁したと風の噂で聞いたので、今では別の意味で新宿の街を闊歩しているかもしれませんね。

新宿の思い出

僕にとっての新宿の思い出といえば、学生時代よりも仕事を始めてからの方が多くあります。

新宿西口に「三角ビル」というビルがあって、ここにはよく仕事できました・・・これ自体はあまり楽しい思い出ではなかったですが、新宿に来れば何かが起こるような幻想がいつもありました。

もっとも仕事の打ち合わせできたくらいでは何も起こらなかったわけですが・・・強いていえば新宿アラジンの場所を覚えたくらいでしょうか。

あとは今の妻と知り合ってからはちょくちょく新宿にきていました。

目的はもちろん魚群を見るためです。お魚さんがふわーって流れただけですべてが許さるんですよね。

僕は今でこそスロットを打って「きちんとやれば勝てる」みたいな情報発信をさせてもらっていますが、妻と知り合った当初は何も考えずにパチンコを打っていました。

期待値なんて概念はどこにもなく、ただ火の玉の如く打つだけ。妻と二人なので火力も二倍です。正確にはダメージが二倍になるだけなんですが・・・

立ち回りは海物語のオカルト打ちで、金魚群やサムが出た台のハイエナがメイン。ホルコン攻略法も二つほど購入済みで、毎月相当額のマイナスを叩いていたと思われますが、収支もつけていないのでわかりません。

学生時代にスロットで勝っていたことなどどこへやらです。

ちなみに主戦場は新宿の隣町の新大久保で、そこも同じ系列のエスパスでしたが、自分のお金が神田うののストッキングの事業を支えているんだという気概を持って取り組んでましたよ。

新大久保でコテンパンにされると黄昏れて新宿まで流れて来て、東口にある「メトロ会館」という低貸し専門店で一円だか二円だかの甘デジの海を打つんですが、あの店はかなり好きでしたね。

設置台も古いし席も超がつくほど狭くてちょっと身長があると座るのも一苦労です。しかもサンドも旧式で硬貨しか受け付けない。入店するなり500円玉を10枚とか両替して、夫婦で分けて握りしめて遊んでいました。

帰りは隣で一蘭でラーメンを食べたり。懐かしいものです。妻は一蘭という名前を知らないので「刑務所みたいなラーメン屋」と呼んでいました。

メトロ会館では何も考えずに遊んでいただけなのにトータルでは勝ててたんじゃないのかというレベルで遊びやすかった気がしています。もちろん収支はつけていませんが。あそこはたしか自社物件を持っていて、ゲーセンや雀荘もやっていたようで、パチンコは税金対策か道楽でやっているんかじゃないかと思ったものです(今は知りませんのであしからず)。

 

・・・いろいろと過去の思い出を書き連れてきましたが、最近は歳のせいかあまり人が多すぎず、場末感漂う場所の方が心地よくて新宿のような大きな街から足が遠のいてしまいました。でも今回の件が落ち着いたら一度昔を懐かしんで散歩してみたいものです。

 

今年の5月5日はジャグラーが打てずポエムを書き散らかしてしまいましたが、いつか必ず正常になるはずですので、健康に気をつけつつその時を楽しみに待つしかないですね!

本音をいえば、自粛や制限が長引いて緊張感が薄れつつありますが、医療の現場ではまだまだ大変な状況が続いていると思いますので、関係者に感謝しつつ、不要に負担をかけないように気をつけるしかなさそうですね。

パチンコの負け組だった頃の思い出

先日、こんなツイートをしました。 今日は強打する人の近くでお遊技 個人的には台パン強打は大歓迎で、もっとやってくれと思ってます もし全員が冷静沈着でコンピュータのように立ち回られたら店の商売は成り立た ...

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